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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区永田町2-10-5 (日枝神社)

千代田区指定有形民俗文化財 平成12年(2000)4月指定

 日枝神社の境内社、山王稲荷神社の本殿と、八坂神社(やさかじんじゃ)猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)両社を合
祀した本殿の前に、一対の石製狛犬があります。幅55cmほど、高さは70cmほど、台座部分を含めても大人の背くらいの高さです。
 像の台座には「奉献ほうけん」「文政三庚辰かのえたつ年六月吉日」「南伝馬町三町目」「家主中」などと陰刻の銘文があり、向かって右側の像には「植草重左衛門(じゅうざえもん)」ほか10名と「地形方抱
(ちぎょうがたかかえ)三右衛門」 「石工(いしく) 新川勘兵衛」などの名前が、また同様に向かって左側の像には「亀田左兵衛(さひょうえ)」ほか11名の名前が見られます。この他に左側の像の中段台石外側の側面には「明治三十四年九月 自神田神社境内移之 南伝馬町三ヶ町」などと年代の異なる銘文も刻まれています。



 以上のことから、この狛犬はもともと文政3年(1820)に、当時神田神社境内に鎮座していた南伝馬町天王社に奉納されたものであることがわかります。しかしその後、明暦18年(1885)2月13日未明に神田神社周辺で起きた火災により天王社本殿その他が焼失した後、南伝馬町の氏子たちは新たに日枝神社境内に鎮守として祇園社を勧請しました。その時点では、おそらくこの狛犬は未だ神田神社境内に現存していたのであり、16年後の明治34年(1901)に石製燈籠などその他の南伝馬町天王社に由来する旧来の石造物とともに日枝神社境内に移転、再設置されたと思われます。
 この狛犬は、千代田区内に現存する狛犬としては、すでに文化財指定した2例[平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)狛犬=享和元年(1801)、再建嘉永5年(1852)] [築土神社(つくどじんじゃ)狛犬=安永9年(1780)]と同様、江戸時代の銘文をもつものであり、区内においては貴重な文化財です。そして、江戸時代から明治時代にかけての人々の信仰の一端、特に日枝神社及びその境内社である八坂神社と神社周辺の人々や南伝馬町の人々との関わりを、私たちに語りかけてくれているのです。
  平成13年(2001)3月 千代田区教育委員会
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