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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区五番町

 この坂を新坂といいます。新しく作られた坂ということでしょう。江戸時代の絵図をみますと、ここに道はなく、人々は東側の帯坂や西側の三年坂へ迂回しなければなりませんでした。しかし、明治23年(1890)3月の『東京市区改正全図』には三等道路として、この道を通す計画が書き込まれています。大正元年(1912)の「東京市麹町区地籍地図」では、この道を地図上で確認できます。
 昭和50年(1975)3月 千代田区

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所在地 千代田区五番町 九段南

 この坂を帯坂といいます。名称は歌舞伎で有名な番町皿屋敷の旗本、青山播磨の腰元お菊が、髪をふり乱し帯を引きずってにげたという伝説によります。また一名切通し坂ともいわれたのは、寛永年間(1624~1643)外堀普請の後に市ヶ谷御門へ抜ける道として切り通されたのでその名がつけられたといいます。
 昭和50年(1975)3月 千代田区


所在地 千代田区五番町

 この坂を三年坂といいます。
 『新撰東京名所図会』には、「下六番町の方より土手三番町の中間を貫き土手際に降る坂をいう。三年坂は現今通称する所なるも、三念寺坂を正しとす。むかし三念寺といえる寺地なりしに因り此名あり。然るに俗間誤りて三年坂と称し、」とかかれています。
 平成9年(1997)3月 千代田区教育委員会


所在地 千代田区五番町 九段北 新宿区

 この橋を市ヶ谷橋といいます。市ヶ谷門に架かる見附橋であります。門は寛永13年(1636)森長継の担当で建造され、市ヶ谷への出口であったので門の名となり、橋の名ともなったのでしょう。また門は「市ヶ谷」「一ヶ谷口」ともかかれています。市ヶ谷の名は、市ヶ谷孫四郎の領地であったからとも、四谷第一の谷、または市が立ったので市買だともいわれています。四谷、牛込をはさんで市ヶ谷付近の濠は、同じ高さなので濠の幅を広くして敵に備えたといいます。このあたりは昔は桜が多く、門は「桜門」といわれていました。現在も橋をはさんで咲く土手の桜は有名です。門は明治4年(1871)撤去されました。現在の橋は昭和2年(1927)に架設されたものです。長さ36.4メートル、幅15.6メートル。コンクリート造り。
 昭和51年(1976)3月 千代田区教育委員会
 


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