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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区神田小川町3丁目

 この坂を富士見坂といいます。『新撰東京名所図会』には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町1丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂という名の坂は千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町2丁目の間にあります。

 平成16年(2004)3月 千代田区教育委員会
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所在地 千代田区神田小川町

   「前垂会(まえだれかい)」のいわれ

 今から100年程度前の明治34年に、東京下町の神田に、町の発展を願って結成された商店主の集りがありました。それが東京で一番古い商店街といわれている「前垂会(まえだれかい)」です。

 名の由来は「前垂れを諦めて身を正 商人の基本である頭をたれて、誠実・親切・謙虚をモットーに商売に励げもう」という心根を忘れないためにつけられました。

 時の流れを経たいま、「前垂会(まえだれかい)」の私達は昔の商人魂を忘れず、ますます一致団結して、これからも東京一歴史のある商店街として発展してゆきたいと思っています。ここに当会の100周年と江戸開府400年を記念し、世界の平和を祈りつつ「平和の鐘」を建立しました。

  平成15年(2003)3月施工


所在地 千代田区神田小川町3-9

   五十稲荷神社由緒
御祭神 倉稲魂命(食物を司る保食神)
例大祭 4月15日
 祭祀び時代は詳らかではなく、慶長の頃(西暦1700頃)既に当地に御鎮座され、徳川家に於いて安産守護神として篤く崇敬せられたと伝えられています。
 正徳の頃(西暦1750頃)栃木県足利の戸田長門守が当地を拝領し、屋敷を構えるに及び、当社地もその邸内に入り、戸田家で当地の鎮守として奉祀され、故郷の足利市雪輪町旧御陣屋大門に奉斎されていた稲荷大神(現雪輪町稲荷神社)も合わせ祀り、栄寿稲荷大名人と崇め奉り、崇敬の誠を尽されたのであります。
 当社は昔から「五十稲荷」といわれていますが、起源は古く戸田領足利で織物の市が五と十のつく日に開かれるのが慣わしであり、江戸の戸田邸でもその繁栄を祈願する為に、毎月の祭事を五と十のつく日に執り行い、月々の祭日と2月の初午祭には門戸を開放し、諸人の参詣を許しました。
 明治になり、廃藩置県制度により大名屋敷が町谷となり当社の御祭祀も崇敬者等により承け継がれ、1年を通し毎月五と十のつく日には多くの参詣があり、後には縁日が立ち「五十様の縁日」と呼ばれ、東京市内でも有名になり、俗称として「五十稲荷」と呼ばれるようになりました。
 当社の公の社号は「稲荷神社」であり、明治5年(1872)に公認の「神社」として列格致しました。
 大正12年(1923)の関東大震災迄は現在地のすぐ横に約2百坪の境内地がありましたが、震災後の東京市土地区画整理により、現在の地に縮小移転させられました。
 平成7年(1995)5月吉日 記



所在地 千代田区神田小川町3~神田駿河台1

 文坂





 
                       昭和五十年一月 駿河台西町会 坂内熊治


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