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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区神田小川町3-9

   五十稲荷神社由緒
御祭神 倉稲魂命(食物を司る保食神)
例大祭 4月15日
 祭祀び時代は詳らかではなく、慶長の頃(西暦1700頃)既に当地に御鎮座され、徳川家に於いて安産守護神として篤く崇敬せられたと伝えられています。
 正徳の頃(西暦1750頃)栃木県足利の戸田長門守が当地を拝領し、屋敷を構えるに及び、当社地もその邸内に入り、戸田家で当地の鎮守として奉祀され、故郷の足利市雪輪町旧御陣屋大門に奉斎されていた稲荷大神(現雪輪町稲荷神社)も合わせ祀り、栄寿稲荷大名人と崇め奉り、崇敬の誠を尽されたのであります。
 当社は昔から「五十稲荷」といわれていますが、起源は古く戸田領足利で織物の市が五と十のつく日に開かれるのが慣わしであり、江戸の戸田邸でもその繁栄を祈願する為に、毎月の祭事を五と十のつく日に執り行い、月々の祭日と2月の初午祭には門戸を開放し、諸人の参詣を許しました。
 明治になり、廃藩置県制度により大名屋敷が町谷となり当社の御祭祀も崇敬者等により承け継がれ、1年を通し毎月五と十のつく日には多くの参詣があり、後には縁日が立ち「五十様の縁日」と呼ばれ、東京市内でも有名になり、俗称として「五十稲荷」と呼ばれるようになりました。
 当社の公の社号は「稲荷神社」であり、明治5年(1872)に公認の「神社」として列格致しました。
 大正12年(1923)の関東大震災迄は現在地のすぐ横に約2百坪の境内地がありましたが、震災後の東京市土地区画整理により、現在の地に縮小移転させられました。
 平成7年(1995)5月吉日 記

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