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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区大手町2-2 (新大手町ビルヂングと大手町野村ビルの間)

 昔ここに道三堀という堀があり、そこに架かっていた橋を道三橋といいました。
 道三堀というのは江戸城の数ある堀割の1つで、竜の口(和田倉門のそば)から銭瓶橋まで蛇行する堀割でした。堀の中程には橋が架かり、南東の端には幕府典薬寮の医官今大路玄朔延寿院道三法眼の屋敷がありました。
 西側には細川越中守の屋敷があり、越中守の幼名を彦次郎と称したので、越中守橋とか彦次郎橋とも呼ばれていたようです。『江戸砂子』には今大路を今大和の姓としているので、大和橋ともいわれたのではないでしょうか。
 この堀橋には道三の外、本道、外科、針の医師も住んでいたといい、この道さんが或日将軍の御召しに遅れ、御咎めがあった時、堀を廻ったので遅れた旨答えたところ、それならば橋を架けよということになって架けられたという話が伝えられています。
 慶長(1596~1614)の頃は堀に沿って材木屋等の町屋が多くできましたが、その後武家地となり、明治42年(1909)堀は埋立てられてしまいました。
 昭和51年(1976)3月 千代田区教育委員会

 
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