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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区九段南1-6-1先

 安政3年(1856)幕府はここに藩書調所を設け、専ら海外の事情を調査すると共にその教育にあたらせた。

 この調所はのち神田一ツ橋通りに移って洋書調所に、更に開成所と改め、明治2年(1869)大学南校と改称して東京大学の前身となった。

                         千代田区

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所在地 千代田区九段南1-2

 早稲田大学創立者大隈重信(1838~1922)は、明治新政府に出任し、大蔵卿等を歴任し、日本国の「円」の創設に尽力しました。また内閣総理大臣を二度にわたり務め、近代国家の基礎作りに貢献しました。
 大隈重信は、1876(明治元年)年10月から1884(明治17年)年3月まで、この雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田大学の前身、東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。
    創立125周年を記念して

        2007(平成19)年10月  早稲田大学・千代田稲門会


  大隈重信邸(奥には九段坂上の常燈明台がみえる)(提供:平凡社)

    大隈重信邸跡

 近代なるとこの地は、明治政府の厩が置かれましたが、明治9年(1876)には二度の総理に就任し、早稲田大学を創設するなど多方面に活躍した大隈重信が邸宅を構えます。
 その後、フランス公使館、憲兵練習場、国営竹平住宅を経て現代を迎えます。

    江戸幕府蔵屋敷の礎石

 江戸城清水門前のこの場所は、将軍直属家臣の居住地や蔵・馬場、厩といった江戸城附属の施設が置かれました。 
 平成16年(2004)の遺跡発掘調査では、近世初頭に水田地帯を埋め立てて屋敷を築いたことがわかりました。ここに設置した石は、敷地南半に広がる米蔵の礎石の一部で、配置は出土状態を再現しています。礎石の配列から、二棟の東西に長い建物で、明暦の大火(1657)で焼失したと考えられます。礎石のうち、大きな石材は柱や壁を支え、小さな石材は床を支える基礎と考えられます。
    
                監修:千代田区教育委員会


所在地 千代田区九段南2-2(区立九段坂公園)

 靖国神社(当時は東京招魂社)正面の常夜灯として明治4年(1871)に建設されました。正式名称は高燈篭ですが、常燈明台ともいわれています。
 当時、九段坂の上からは、遠くの山々を見渡すことができ、海を行きかう船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たしました。
 当初は靖国神社に建てられていましたが、道路の改修に伴い昭和5年(1930)に道をはさんで向かい側の区立九段坂公園に移転しました。






所在地 千代田区九段南4-2-11 (市ヶ谷フィナンシャルビル)

 二七不動院跡

火災により消失しました。再建はされませんでした。


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