東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区永田町1-1 (国会前庭) 尾崎行雄は、民主主義と世界平和とのために一生をつらぬいた。若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例に座して首都を追われ、海外に亡命したが、国会開設とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること63年、世界議会史上の記録をなした。素志は藩閥軍閥の打破、民主政治の確立にあり、あらゆる権力に弾圧に屈せず、つねに民衆の陣頭にあってたたかった。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護の起るや、世は彼を仰望して権勢の神と称した。軍国主義が一世を支配し、戦雲急なるに及んでも、平和の新年をまげず、三たび辞世をふところにして議政壇上に立ち、国論に警告することをやめなかった。つとに世界連邦を提唱し、議会政治の父と仰がれつつ一生の幕を閉じた。高風を追慕する国民の支援と国際的賛助とにより、ここにこの記念会館が成ったのである。 1960年2月25日しるす 1858年11月20日神奈川県津久井郡津久井町又野に生まる。父は行正、母は貞子、長男、幼名彦太郎。 1874年慶応義塾に入り、福沢諭吉に学ぶ。 1879年福沢諭吉の推薦により新潟新聞主筆となる。 1881年退社上京す。 1882年報知新聞に入り、1890年まで各紙貴社として活躍す。大隈重信をいただき改進党を組織す。以来政党活動に身を投ず。 1885年東京府会議員となる。 1887年保安条例により3年間東京退去を命ぜられたのを機会に欧米を視察す。 1890年日本最初の衆議院議員総選挙に三重県より立候補し当選す。以来同一選挙区より25回連続当選す。 1898年大隈、板垣連立内閣に文部大臣として入閣す。 1903年第2代東京市長に就任す。(国会議員はそのまま) 1912年桜苗木3000本をアメリカに贈る。水源林の確保、市街鉄道買収その他幾多の功績を残し東京市長を辞任す。 1914年大隈内閣の司法大臣に就任す。 1916年辞任す。 1919年第1次世界大戦後の欧米の惨状を視察す。 1931年アメリカを経てイギリスに渡り、日本国民に対する遺言ともいうべき「墓標に代へて」を執筆。また欧州各地を視察す。 1933年帰国す。 1942年田川大吉郎選挙応援演説にからみ不敬罪容疑で起訴さる。 1944年無罪の判決を受ける。 1950年渡米。第2次大戦後の日米国交に貢献す。 1953年衆議院名誉議員、東京都名誉都民に推薦さる。 1954年10月6日永眠す。北鎌倉円覚寺黄梅院に埋骨さる。 碑文起草 阿部真之助氏 碑文揮毫 文学博士石橋啓十郎氏 花崗岩寄贈 株式会社鈴木石材店 工事 柴田石材工業株式会社 PR |
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永山
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男性
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