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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区神田駿河台1-8 

  「杏雲堂」という名前の由来
 古く中国西晋時代の神仙伝の一節に、呉の国の薫奉(とうほう、字は君異)という名医の逸話として、「人のために病を治すも銭物をとらず、病の癒ゆる者、軽症の時には杏1株を植えしめ、重症の時には5株を植えしめたり。かくの如くすること数年にして10万余株となり、鬱然として林を成し、杏花雲の如く、杏子大に熟せり。」とあります。
 つまり、昔中国ある名医が治療費の代わりに杏の木を、重傷者には5株、軽症者には1株植えさせ、それが後に大きな杏の林になったというお話です。この故事から、医家・医師のことを「杏林」と言うようになりましたが、初代佐々木東洋は「杏花雲の如く」に感じて、明治15年(1882)6月1日の開院時に、「杏雲堂病院」と命名したと伝えられています。



 杏雲堂病院敷地内には『大久保彦左衛門屋敷跡碑』、『佐々木政吉胸像』、『佐々木東洋胸像』が、病院向かいの御茶ノ水杏雲ビル敷地内には『佐々木隆興胸像』あります。
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