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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区永田町2-10-5 (日枝神社)

祭神  倉稲魂神(うがたのみたまのかみ)

例祭  4月下午の日



 稲荷の大神は古来、生成発展・商売繁昌の守り神として全国に祀られ、ここ永田馬場星が岡の地主神として松平主殿顧忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬治2年(1659)4月本社山王権現が麹町より移遷されるに至り日枝神社境内末社となった。




< 山王稲荷神社本殿 > 

 千代田区指定有形文化財 昭和63年(1988)4月

名称 日枝神社境内末社 山王稲荷神社本殿

構造 一間社春日造、本瓦葺型銅板葺、南面

規模 身舎 正面柱間 真々 1.518m
    身舎 側面柱間 真々 1.670m
    身舎 向拝間柱間 真々 1.285m



 山王稲荷神社は、日枝神社が万治2年(1659)麹町隼町から現在地に移されるより以前、当地が福知山藩主松平忠房の邸地であった頃、すでに邸内鎮守として祀られていたと考えられる。この地主稲荷社と現存する建物との関係は不明である。
 『日枝神社史』『江戸名所図会』『甲良家文書』等の資料や棟札(昭和20年・1945 焼失)、細部絵様、同時期の公儀譜請・浅草神社(慶安2年・1649 建立)等との比較、技法の共通性から、万治2年(1659)山王社造営奉行板倉甚太郎重直・横山内記知清両人により日枝神社造営時に新しく造営されたものであると推定される。江戸時代の多くの災害のほか昭和20年(1945)5月25日の空襲による日枝神社社殿焼失の際、校倉とともに戦災を免れて残った唯一の社である。本社復興までの間、日枝神社の仮本殿として用いられた。現存の社の建立年代を示す直接資料を欠くものの、日枝神社末社として本社とともに公儀普請により建設された可能性が高く、17世紀中葉の江戸における幕府建設活動を示す数少ない遺構例のひとつであり、加えて関東地方には希少の縋形式の春日造本殿であることは特筆される。
  平成元年(1989)3月 千代田区教育委員会
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