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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区外神田2-16-2 (神田神社)

千代田区指定有形民俗文化財
 小舟町八雲神社の鉄製天水桶
     平成17年(2005)4月1日指定

 この天水桶は、地上からの高さが1.4mほどになる一対のものです。なお、四角形の基壇と台座は石製です。
 
銘文によれば、天水桶の奉納者と鋳造者は次のとおりです。
 
奉納したのは、江戸の魚問屋仲間に属する商人、遠州屋新兵衛他十名で、文化8年(1811)6月に奉納しています。魚問屋仲間とは、塩干肴や乾物などの流通を担った商人のことで、日本橋にあった魚市場の界隈に軒を並べていました。小舟町八雲神社は、最初、日本橋にあった伝馬町の一つ小伝馬町が宮元となっていましたが、のち魚問屋仲間が祭礼費用を賄うなど神社の活動に関与していきました。その後は、彼らが集住していた小舟町の人々により崇敬され、今日に至っています。
 
鋳造したのは、江戸深川上大島町(江東区大島)の鋳物師太田近江大掾藤原正次(釜屋六右衛門、通称、釜六)です。釜屋六右衛門家は、11代続いた御用鋳物師の家系で、初代六右衛門は近江国栗太郡辻村(滋賀県栗東市辻)から寛永17年(1640)に出府しています。当初は芝に居を構えましたが、万治元年(1658)に大島村に転居しました。梵鐘・天水桶・茶釜・鍋・釜などを製造し、明治維新後に廃業しました。また、釜屋六右衛門家は、神田神社において、小舟町八雲神社右隣の大伝馬町八雲神社の天水桶(平成16年(2004)4月1日付で文化財指定)も作製しています。
 
なお、鳥居を入って左側の天水桶は、安政4年(1857)に再建されたもので、右側の銘文をもとに鋳造したものの、文字の輪郭が丸みを帯びるなど違いが生じています。
 
この天水桶は、江戸時代以来の魚問屋仲間、そして小舟町の人々の神社に対する信仰を、私たちに教えてくれています。
  
平成17年(2005)12月 千代田区教育委員会

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