東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区三崎町2 この標識の立っている前の道から神田川までの一帯に、かつて講武所がありました。 講武所とは、ペリー来航後の政情から、旗本・御家人に剣術・槍術・砲術などを学ばせる必要を感じて、幕府が設けた施設です。 安政元年(1854)4月に、築地の下総佐倉藩堀田家中屋敷の跡地(中央区築地6丁目)に講武所が開校しましたが、安政4年(1857)に築地は全て軍艦操練所用地となり、講武所は移転を余儀なくされました。 安政6年(1859)1月から、小川町の越後永岡藩牧野家上屋敷とその周辺が上地され、翌安政7年(1860)に移転しました。 明治時代になると。陸軍の練兵場として使用されましたが、明治23年(1890)に三菱に払い下げられ、新たに三崎町という町ができました。 平成16年(2004)6月 千代田区教育委員会 PR |
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プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
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