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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区富士見2-17-1 (法政大学)

  「ボアソナード・タワー」名称の由来
 ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ドュ・フォンタラビーは、1825年(文政8年)6月7日、フランス・ヴァンセンヌ市に生まれました。パリ大学を卒業し、博士号を取得した後、グルノーブル大、パリ大の教授を歴任、1873年(明治6年)、政府の法律顧問として我が国に招かれ、太政官、司法省、外務省などの顧問として、20年間にわたり刑法典、治罪法典、民法典などの法典編纂や、司法省法学校の教授、政府の外交政策への助言などに尽力しました。



 1883年(明治16年)9月、本学の前身である東京法学校(後に和仏法律学校と改称)の教頭に就任した博士は、以後最終帰国まで10年間にわたち、無報酬で門弟の教育に情熱を注ぎ、本学の基礎固めに精魂を傾けました。東京法学校は校長を置かず、主幹薩埵正邦が経営していたので、実質的に本学は「ボアソナードの法学校」であったといわれています。
 ボアソナード博士により培われたフランス自然法的な近代法の基礎理念は、本学の「自由と進歩」の学風をつくりあげる基盤となりました。1910年(明治43年)6月27日、南フランス・アンチーヴで没。
 2000年(平成12年)4月に竣工した「ボアソナード・タワー」は、学内で広く名称を公募した結果、本学草創期に大きな功績を残されたボアソナード博士にちなんで命名されました。

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