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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区鍛冶町1-5-7 (江原ビルディング)

 今川橋跡碑
元禄4年(1691)この地、東西に堀割開削され江戸城の外堀(平川)に発し、この地を通って神田川に入り隅田川に通じていた。始めは神田堀、銀堀(しろがねぼり)八丁堀などと呼ばれていたが、後に江戸城殿中接待役井上竜閑が平川と堀割の接点に住んでいたので竜閑川と呼ばれるようになった。
この運河は、江戸市中の商品流通の中枢としての役割は極めて大きくかんだの職人町、日本橋の商人町は大きく栄えた。この掘割は、神田と日本橋の協会として11の橋梁がありこの地に架けられた橋は当時地元町人の代表であった名主、今川善右衛門の姓をとり「今川橋」と名づけられたという。昔、東海道以外の街道を江戸より旅する時は、日本橋を発ち初めて渡るのが今川橋であった。
昭和25年(1950)竜閑川の埋め立てと同時に今川橋も廃橋解体され、360年の歴史を閉じた。
 平成元年(1989)1月吉日 鍛冶町1丁目町会
 場所提供者 江原富夫氏
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