東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区神田錦町3-28 この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。明治5年(1872)学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(1843~1927)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌明治6年(1873)に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが「日本野球の始まり」といわれている。明治9年(1876)初夏い京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。 ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州ゴーラム出身、志願して南北戦争に従軍した後、明治4年(1871)9月にサンフランシスコで日本政府と契約し、来日、明治10年(1877)7月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。 同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備門、第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。 平成15年(2003)、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。 まさにこの地は「日本野球発祥の地」である。 平成15年(2003)12月 (財)野球体育博物館 PR |
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永山
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