東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区外神田1-9-2 講武稲荷神社縁起由来(町会所有) 当社は旅籠町3丁目にあり、安政4年(1857)の鎮座にして神体は宇之御魂命なり 一説に運慶作なりと伝ふ 昔時大貫伝兵衛なるもの当講武所附属地の払下を出願し其の許可を得んが為め浅草橋なる長昌寺に安置せる此稲荷神社に参詣し 祈念怠ざりしかば遂に安政3年(1856)5月22日を以て 払下免許となりたる由 これが為翌年社祠を造営し其の本体を橋場より本社に移したるを以て創始として居たる今尚ほ毎年5月22日を大祭日としている。 尚段の社域は大正12年(1923)の震災の際焼失せるも其後区画整理により現在地に安置せられたり 一般に火伏せの神なりと其の霊の灼さを伝へられ更に此の火伏護神と共に花街の繁昌に貢献顕著だと伝ふので近隣の三業関係人は勿論遠く向島辺から参詣人が多く時ならぬ賑かさも有りと申されて居る。(古文のまま) 戦災で復興・昭和55年(1980)改装・このたび銅板にて由来板を新装しました。 平成6年(1994)2月 初午外神田旅籠町会 PR |
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永山
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