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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区霞が関3-2-2 (文部科学省) 

 旧大臣室(復原)
旧文部省庁舎(昭和8年〔1933〕7月竣工)の3階に位置する大臣室については、現存する写真資料等をもとに、創建時の姿に復原しました。創建以来、部分的な改修・改造は行われていますが、七十有余年の間、大切に使用され今日に至っています。この部屋で、歴代大臣が我が国の文部科学行政の重要な方針や政策について検討し、意思決定を行ってきました。大臣の机や棚などの室内の調度品は、実際に歴代大臣が使用されてきたものです。なお、この大臣室で執務した最初の文部大臣は、鳩山一郎です。







 初代文部大臣 森有禮(礼) (弘化4年〔1847〕~明治22年〔1889〕)
弘化4年(1847)鹿児島生まれ。初代文部大臣就任までの間、近代学術団体明六社や商法講習所(現在の一橋大学)を設立するなど、封建思想の排除と近代思想の普及に努めました。
初代文部大臣就任の翌年には、帝国大学令・師範学校令・中学校令・小学校令等を公布するなど、近代教育制度の基礎を築きました。

 初代文部大臣森有禮と「自警」
明治18年(1885)12月、内閣制度の創設とともに初代文部大臣に森有禮が就任しました。森有禮は、初代文部大臣に就任後、全国の教育学問の行政を総括する文部省の責任の重大性を明らかにし、その覚悟を述べた「自警」の書を自ら表しました。現在も、大臣室をはじめ局長室等の幹部の執務室に、その写しが掲示されています。
 
   「自警」
文部省ハ全国ノ教育学問ニ関スル行政ノ大権ヲ有シテ其任スル所ノ責随テ至重ナリ 然レハ省務ヲ掌ル者ハ須ラク専心鋭意各其責ヲ盡クシテ以テ学政官吏タルノ任ヲ全フセサル可カラス 而テ之ヲ為スニハ明ニ学政官吏ノ何モノタルヲ辨ヘ決シテ他職官吏ノ務方ヲ顧ミ之レニ比準ヲ取ルカ如キコト無ク一向ニ省務ノ整理上進ヲ謀リ若シ其進ミタルモ苟モ之ニ安セス愈謀リ愈進メ 終ニ以テ其職ニ死スルノ精神覚悟セルヲ要ス
 明治19年(1886)1月 有禮自記
  「自警」(解釈) 
文部省は、全国の教育学問に関する行政の大権を有しているので、その責任は大変に重いものである。
 したがって、文部省の職務を担当する者は、専心誠意その責任を尽くして、学問をつかさどる行政官吏の任をまっとうしなければいけない。そしてそのためには、学問をつかさどる行政官吏であることをわきまえ、決して他の官吏と比べることはせず、ひたすら文部省の職務に熟達することを計り、あある程度になったからといっても満足しないで、もっと、もっと上に進むよう努力し、最後にはその職に死んでもいいくらいの精神を自覚することが必要である。
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