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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区紀尾井町2

 清水谷公園のあるこの辺りは、江戸時代の紀伊家井伊家の屋敷境にあり、この境が谷であったことと、紀伊家屋敷内に霊水(清水)が湧き出ていたことから、清水谷と呼ばれていました。「清水谷公園」の名は、この地名から名付けられました。
 清水谷公園は麹町区清水谷の景勝地に建てられていた大久保利通遭難記念敷地一帯が、同碑建設発起人から寄贈されたのを受け、東京市が、明治22年(1889)5月、都市計画決定し、明治23年(1890)3月に開園しました。
 開園された当時は、自然の地形を残した背景と、藤、桜、松、楓などの四季折々の風情があり、中央には、大久保公の追悼碑が配置され、この公園の歴史の尊さを感じさせるものになっています。



 園内には、江戸時代の水道に使われていた玉川上水桝が展示され、水にゆかりの深いところだったことを証明しています。
 自然を色濃く残した清水谷公園は、周辺の業務・商業施設の安らぎの場として、また、緑豊かな都会のオアシスとして貴重なオープンスペースとなっています。




 園内には『大久保利通公哀悼碑』、『江戸水道の石枡』、『
秋元裕氏顕彰碑(偕香苑)』があります。
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