東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区神田神保町2-10 舌代
此お地蔵様は京都熊野郡久美浜町字古神谷の本願寺より明治四十三の秋東洋幼稚園と東洋家政女学校の校長岸辺福雄先生がお寺に■願の上譲り受け当地■■いて来られたのであります
年々の供要は湯島の霊雲寺の住職に依てお祭りを■■毎日■■されました作者は不明ですが鎌倉時代のものと申されて居ります
大正十二年の大震災で十数個はこわれましたのをつぎ合わせました 岸辺先生はカバン地蔵と名付ましたが誰云ふとなく身代り地蔵子育地蔵とか火消し地蔵と申されて居ります 区割整理の為当町でお守する事になり大震災大東亜戦又は事故死その他各位の方々の霊をおまつりし 年々供要を兼ねお祭りをし愛全地蔵と霊雲寺の和尚さんは名付て裁き■■皇太子御成婚記念としお堂新築■したのであります
昭和三十四年四月吉日 愛全地蔵講
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HN:
永山
性別:
男性
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