東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区神田神保町3-10 専修大学の黒門 専修大学の前身である「専修学校」は、明治13年(1880)京橋区木挽町(現在の中央区銀座3丁目)に誕生し、明治18年(1885)7月神田区今川小路2丁目8番地(現在の神田神保町3丁目8番地)に移転し新校舎を設置しました。 この当時の正門が黒渋で塗られた冠木門であったことから、「専修学校」の愛称として黒門とよばれたものでありました。黒門は明治40年(1907)の校舎改築により姿を消すこととなりますが、その名称は現在の専修大学の象徴として生き続けています。 専修大学創立130年にあたり専修大学育友会のご厚意によりここに102年の時を経て黒門が復元しました。 平成22年(2010)3月吉日 学校法人専修大学 相馬永胤そうまながたね 1850年(嘉永3年)~1924年(大正13年) 彦根藩士の家に生まれる。1871年から1879年までアメリカに留学。 途中、学費調達のため一時帰国。コロンビア大学卒業後、イェール大学大学院で法律学、経済学を学ぶ。 専修学校を創立。初代校長、初代学長を歴任。『米国紐育州訴訟法』などを著し、法律科の講義を担当。この間、司法省附属代言人、判事、横浜正金銀行取締役、同頭取などを歴任。第1回衆議院議員選挙にも当選。 田尻稲次郎たじりいなじろう 1850年(嘉永3年)~1923年(大正12年) 薩摩藩士の家に生まれる。1871年から1879年までアメリカに留学。 イェール大学卒業後、同大学院で経済学、財政学を学ぶ。 専修学校を創立。英国マクラウド原著『銀行史』などを著し、経済科の講義を担当。専修学校で教鞭をとるかたわら、東京大学講師となり理財学を講義。 大蔵省銀行局長、大蔵省主税局長、大蔵次官、大蔵総務長官、会計検査院長、京市長などを務めた。法学博士。 駒井重格こまいしげただ 1853年(嘉永6年)~1901年(明治34年) 桑名藩士の家に生まれる。1874年から1879年まで旧桑名藩主・松平定教に随従し、アメリカに留学。ラトガース大学で経済学を学ぶ。1879年帰国。 専修学校を創立。英国グーシェン原著『外国為換論』などを著し、経済科の講義を担当。大蔵省准奏任御用掛となり、大蔵省参事官、大蔵省国債局長などを歴任。高等商業学校(一橋大学の前身)校長を務め、名校長として慕われた。 目賀田種太郎めがたたねたろう 1853年(嘉永6年)~1926年(大正15年) 幕臣の家に生まれる。1870年から1874年までアメリカに留学。 ハーバード大学卒業。1875年留学生監督として再渡米、1879年帰国。 専修学校を創立。『私訴犯法』などを著し、法律科の講義を担当。 司法省附属代言人、判事、大蔵少書記官、大蔵省主悦官、横浜税関長、韓国政府財政顧問、枢密顧問官も務めた。 PR |
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