東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区神田東松下町24 千葉習作玄武館跡・東條一堂の瑶池塾跡 千葉周作はここに玄武館を開いて、北辰一刀流の剣術を指南し、その西隣に文政4年(1821)東條一堂は瑤池塾を開いて諸生に儒学と詩文を教授した。 千代田区 東條一堂先生瑤池塾の址 東條一堂先生は江戸時代の漢学の大家で安永7年(1778)11月7日千葉縣茂原市八幡原に生まれた名は弘といひ一堂はその號である はじめ皆川淇園亀田鵬斎等に従つて業を受けたが学成って後神田お玉が池に瑶池塾を開いた この塾は市橋主殿頭の邸と千葉周作の玄武館の間に在り今の千櫻小学校の地に當っている その両先生は親交があり自然門人同志も互に相往来して文武の道に励んだ先生は老中阿部正弘を始め盛岡庄内等の各藩公に召されたが往還常に輿を以て送迎されたので世に輿儒者の稱があった天性勤王の忠篤くかつ気節に富んでゐたので弟子三千餘人の中には清川八郎桃井儀八鳥山新三郎等幾多の志士が輩出した安政4年(1821)7月13日歿 享年八十 墓は葛飾区堀切町妙源寺に在る先生の学は漢宋新古の註を排した 先秦の古学であり自らは常に焚書以上の人と稱した詩文を善くし又書にも巧みであった著書百二十部その中でも四書知言五辨等が最も有名である 千葉習作玄武館の址 千葉周作先生は幕末に於ける剣道の達人で寛政6年(1794)正月元旦宮城県栗原郡花山村に生まれた 幼時父幸右衛門に北辰夢想流の剣法を学んだが後 松戸の住人浅利又七郎義信の門に入って小野派一刀流を修め 更にその師中西忠兵衛に従って秘術を授かり心気力三者一致の妙諦を悟るに至った 夢想流と一刀流とを取捨て折衷して最も実用に適する組型を創定しこれを北辰一刀流と称した玄武館を神田お玉が池に開き 桃井春蔵斎藤彌九郎の塾と名を齋しくし江戸の三大道場ともいわれた 後に水戸藩主徳川斎昭 慶篤の 二公に仕えたが 期する所は人材の養成にあった 弟子数千人中には海保帆平 櫻田良佐庄司辨吉等知名の剣客があり また坂本龍馬 清川八郎等の勤王家も輩出した 安政2年(1773)12月十日病没享年62 墓は豊島区巣鴨本妙寺に在る 先生人となり剛毅風貌魁梧身長六尺に近く眼光炯炯として人を射犯すべからざる威厳があった 昭和32年7月建 瑶池塾・玄武館 遺蹟保存会 PR |
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永山
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