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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区大手町2-6

 以前、ここには外堀があり、江戸城の外郭門の一つ呉服橋門がありました。そして、門に付属する橋である呉服橋が架けられました。
 「御府内備考」という史料の「呉服橋御門」の項には、橋の由来が次のようにあります。
 古くは後藤橋といへり。〔寛永中江戸絵図〕呉服町へ出る御門なれば呉服橋と唱へ来れりと。〔江戸紀聞〕今按に、寛永の頃後藤橋と称せしものは、御門外に呉服師後藤が宅地あるよりの私の呼名なるべし。(後略)
 これによれば、呉服橋と呼ぶのは呉服町へ出る門に架かるためで、また寛永(1624~1643)頃に後藤橋と呼んだのは門外に呉服師の後藤家の屋敷があったためとしています。
 なお、外堀が昭和29年(1954)頃から埋め立てられたため、呉服橋も含めて外堀沿いの橋は次第に姿を消していきました。
  平成9年(1997)3月 千代田区教育委員会

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