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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区九段北 (靖国神社)

 ラダ・ビノード・パール博士は、昭和21年(1946)年5月東京に開設された『極東国際軍事裁判所』法廷のインド代表判事として着任され、昭和23年11月の結審・判決に至るまで、他事一切を顧みる事なく専心この裁判に関する膨大な資料の分析に没頭されました。博士はこの裁判を担当した連合国11カ国の裁判官の中で唯一人の国際法専門の判事であると同時に、法の正義を守らんとの熱烈な使命感と、高度の分明史的見識の持主でありました。
 
博士はこの通称『東京裁判』が、勝利におごる連合国の、今や無力となった敗戦国日本に対する野蛮な復習の儀式に過ぎないことを看破し、事実誤認に満ちた連合国の訴追には法的根拠が全く欠けている事を論証し、被告団に対し全員無罪と判決する浩瀚な意見書を公にされたのであります。
 
その意見書の結語にある如く、大多数連合国の復讐熱と史的偏見が漸く収まりつつある現在、博士の裁定は今や文明世界の国際法学界に於ける定説と認められたのです。
 
私共は茲に法の正義と歴史の道理とを守り抜いたパール博士の勇気と情熱を顕彰し、その言葉を日本国民に向けられた貴重な遺訓として銘記するためにこの碑を建立し、博士の偉業を千古に伝へんとするものであります。
  
平成17年(2005)6月25日 靖国神社 宮司 南部利昭

< 意見の結語 >

 時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう
    ラダ・ビノード・パール 



1886.1.27     インド、ベンガル州ノディア県にて生誕
1911       カルカッタ大学法学部卒業
1923~1936 カルカッタ大学法学部教授
1927~1943 インド政府法律顧問 インド高等裁判所判事
1944~1946 カルカッタ大学 副総長
1946~1948 極東国際軍事裁判インド代表判事
         日本被告全員の無罪を判決
1952~1967 国際連合国際法委員会委員
          1958.1962は委員長
1966      日本政府より勲一等瑞宝章受章
1967.1.10   カルカッタ(現在のコルカタ)にて逝去 享年82歳

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