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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区麹町6-4-2 (心法寺)

 千代田区指定有形民俗文化財 
平成14年(2002)4月指定

 この水盤は、銘文によれば、万延2年(1861)2月に檀家である稲垣氏が親族である清林院と浄池院の菩提を弔うため心法寺に寄進したものです、心法寺の稲垣家墓所には幕末~大正期にかけての墓碑が三基あります。うち一基には、清林院・浄池院の名がみえます。この墓碑は破損が甚だしい状態ですが、右側面には次のような銘文が確認できます。

   清  安政七庚申年三月廿九日

 永  代  祠  堂  金  貳  拾  五  両

   浄  萬延元庚申年八月十七日

   寶  明治二十六年七月廿六日

 この銘文から、安政7年(1860)3月29日没の「清林院」と、万延元年(1860)8月17日没の「浄池院」、二名の菩提を弔うために、万延2年(1861)2月に、稲垣家が心法寺に寄進したことがわかります。
 なお、水盤に関しては、銘文から判明することとは別に、次のような話も伝わっています。
 稲垣氏は番町に居住した武家で幕末の騒乱期に三河国に疎開し、曾祖父にあたる人物が無事疎開できた感謝から、三河国の石を用いて製作して心法寺に寄進したということが、稲垣氏のご子孫に伝えられています。
 心法寺住職在誉上人が、万延2年(1861)京都からの帰途に旧地である三河国(幡豆郡宮崎庄、あるいは額田郡宮崎)にたちよって、「開山歴代の花崗石八角の墓碑」と、「稲垣氏より寄進の大浄水盤」を造らしめた、との記述が昭和5年(1930)刊行の『心法寺雑話』(中谷在禅著)には見えます。
 水盤は、『心法寺雑話』の口絵写真によると、昭和5年(1930)段階では参道から本堂にむかって左側にありました。
 この水盤は、区内に現存する近世以前からの由緒を持つ唯一の寺院である心法寺の江戸時代末期の信仰と暮らしを物語っています。
  平成15年(2003)3月 千代田区教育委員会

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