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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区内神田1・神田錦町1・大手町1

 この橋を神田橋といいます。慶長7年(1602)頃といわれる「別本慶長江戸図」にも橋が描かれ、「芝崎口」と名が記されています。のち、近くに拝領屋敷があった土井大炊頭利勝に因んで、「大炊殿橋」と呼ばれていました。さらに、神田の町へ出入することから、「神田口橋」・「神田橋」と呼称が変わってきました。
 ここには、かつて江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つ神田橋門がありました。橋を渡った大手町側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していました。
 神田橋門は、寛永6年(1629)に、稲葉丹後守正之によって構築されました。この門を通る道筋は、将軍が菩提寺の一つである上野寛永寺へ参詣する御成道にあたりますので、厳重に警備されていました。鉄砲10挺・弓5張・長柄槍10筋・持筒2挺・持弓1組が常備され、外様大名で7万石以上のもの、あるいは国持大名の分家筋で3万石以上の者が、警備を担当していました。
 江戸時代、白酒で評判だった豊島屋も昭和初期までこの近くにありました。
 現在の橋は、大正14年(1925)11月架設、長さ17.3メートル、幅34メートルです。
 平成18年(2006)9月  千代田区教育委員会

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