所在地 千代田区九段北 (靖国神社)
明治初期から昭和20年(1945)8月15日の終戦に至るまで、幾多の戦役にかり出されおよそ100万頭の馬が戦陣に斃れた。軍馬補充部で育成された軍馬や農家からの購買または徴発馬が、斥候、行軍、戦闘のため戦場を駆巡る乗馬として、あるいはいかなる難路にも屈せず重い火砲を引く輓馬、軍需品を背負い搬送する駄馬として戦地に赴いた。
御国のために戦場を駆巡り、屍を野辺に晒したもの数知れず、終戦まで生き長らえても、再び懐かしい故国に還ったのは僅か1,2頭である。山紫水明の生まれ故郷を思い起こしたことであろう。それでも黙々として生を終えた。
この馬像の作者・伊藤国男氏(明治23年・1890~昭和45年・1970)は生涯に千数百点もの馬像を手掛けた彫塑家である。同氏は戦場において輝かしい功績を遺した戦歿馬のことが脳裏から一時も離れず、私財を傾け鎮魂の証としてこの像を制作、靖国神社に献納したが、台座に費やす財はなく、数年間建立されることはなかった。
かつて馬術の選手として2回もオリンピックに出場し、戦後は皇居内の乗馬クラブで教官を務めた城戸俊三氏は、この話を聞くや早速、旧軍人や馬主に呼びかけ、昭和32年(1957)4月に戦歿馬慰霊像奉献協賛会を結成、広く浄財を募り、翌昭和33年(1958)4月7日に建立除幕式を行い、靖国神社に奉納した。
台座の「戦歿馬慰霊」の揮毫は元皇族の北白川房子様の染筆である。
以来、毎年桜花爛漫の4月7日を「愛馬の日」とし、《戦歿馬慰霊祭》がこの場で行われる。
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