東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区隼町4 (区立三宅坂小公園) 広告がわが国仁平和産業と産業文化の発展に貢献した事績は極めて大きい。わが社は昭和25年(1950)7月1日その創立50年を自祝し過去半世紀を回顧してこれを記念するに当り、平和を象徴する広告記念像を建設して東京都民に贈り、広告先覚者の芳名を記録してその功労を永久に偲ぶこととした。 西暦1950年 株式会社 日本電報通信社 建設者 株式会社日本電報通信社 社長 吉田秀雄 制作者 菊池一雄 鋳造者 伊藤忠雄 施工者 松井建設株式会社 大橋佐平 博文館主 1835-1901
小林富次郎(初代) ライオン歯麿本舗・小林富次郎商店店主 1852-1910岸田銀次郎(初代吟香) 楽善堂主 1833-1905 長瀬富郎(初代) 合資会社長瀬商会代表社員 1863-1611 江藤直純 弘報堂主 1839-1919 岩谷松平 岩谷商会主 1849-1920 村井吉兵衛 株式会社村井兄弟商会社長 1864-1926 日比翁助 株式会社三越取締役会長 1860-1931 鈴木三郎助(二代) 味の素本舗・株式会社鈴木商店社長 1867-1931 森永太一郎 森永製菓株式会社社長 1865-1937 野間清治 株式会社大日本雄辯会講談社社長 1878-1938 瀬木博尚 株式会社内外通信社博報堂社長 1852-1939 三輪善次郎(二代) 丸見屋商店店主 1871-1939 高木貞衛 株式会社萬年社社長 1857-1940 平尾賛平(二代) 株式会社平尾賛平商店社長 1874-1943 森下博 森下仁丹株式会社社長 1869-1943 光永星郎 株式会社日本電報通信社社長 1866-1943 1950年広告功労者選考委員会選 塩原又策 三共株式会社社長 1877-1955 1955年広告功労者選考委員会選 中山太一 株式会社中山大陽堂社長 1881-1956 小林一三 東宝株式会社社長 1873-1957 小林富次郎(二代) ライオン歯磨株式会社社長 1874-1958 1960年広告功労者選考委員会選 松崎半三郎 森永製菓株式会社社長 1874-1961 鳥井信治郎 株式会社壽屋社長 1879-1962 衣笠静夫 株式会社丸見屋副社長 1895-1962 吉田秀雄 株式会社電通社長 1903-1963 澁澤敬三 日本ABC協会会長・日本広告主協会会長 1896-1963 新田宇一郎 日本ABC協会専務理事 1896-1965 1966年広告功労者選考委員会選 山本爲三郎 朝日麦酒株式会社社長 1893-1966 神谷市太郎 ライオン歯磨株式会社専務取締役 1876-1967 松宮三郎 株式会社三越広告部長 1883-1968 1971年広告功労者選考委員会選 長澤千代造 社団法人全日本広告連盟専務理事 1893-1972 足立正 社団法人全日本広告連盟会長・社団法人日本民間放送連盟会長 1883-1973 鈴木三郎助(三代) 味の素株式会社社長 1890-1973 三島海雲 カルピス食品工業株式会社社長 1878-1974 1976年広告功労者選考委員会選 城戸四郎 松竹株式会社会長 1894-1977 澤村三木男 株式会社文芸春秋社長 1909-1979 江崎利一 江崎グリコ株式会社会長 1882-1980 三輪善兵衛(三代) 社団法人日本ABC協会会長・ミツワ石鹸株式会社会長 1889-1980 1981広告功労者選考委員会選 石井光次郎 社団法人全日本広告連盟会長・社団法人日本広告業協会会長 1889-1981 百瀬結 日本ビクター株式会社社長 1897-1982 森永太平 社団法人日本広告主協会会長・森永製菓株式会社社長 1900-1983 永野重雄 社団法人全日本広告連盟会長 1900-1984 野間省一 社団法人日本雑誌広告協会会長・株式会社講談社社長 1911-1984 藤山愛一郎 社団法人全日本広告連盟会長 1897-1985 1986広告功労者選考委員会選 白川忍 社団法人日本広告会理事長・株式会社資生堂常務 1899-1986 稲山嘉寛 社団法人経済団体連合会会長・新日本製鐵株式会社社長 1904-1987 千葉源蔵 社団法人日本雑誌広告協会理事長・株式会社文芸春秋社長 1915-1988 日比野恒次 社団法人日本広告業協会会長・株式会社電通社長 1903-1989 五島昇 社団法人全日本広告連盟会長・東京急行電鉄株式会社社長 1916-1989 松下幸之助 松下電器産業株式会社社長 1894-1989 稲生平八 社団法人日本広告主協会理事長・森永製菓株式会社社長 1905-1989 田丸秀治 社団法人日本広告業協会会長・株式会社電通社長 1914-1990 竹岡稜一 株式会社ナショナル宣伝研究所社長 1909-1990 1991広告功労者選考委員会選 杉浦欣介 味の素株式会社常務取締役 1925-1991 中畑義愛 社団法人日本広告業協会会長・株式会社電通社長 1910-1991 河口静雄 社団法人全日本広告連盟理事長・三共株式会社副社長 1898-1991 佐川幸三郎 花王株式会社会長 1919-1992 小西新兵衛 武田薬品工業株式会社会長 1907-1995 加藤誠之 トヨタ自動車販売株式会社社長 1907-1995 1996広告功労者選考委員会選 亀倉雄策 グラフィックデザイナー 1915-1997 塚本幸一 株式会社ワコール会長 1920-1998 盛田昭夫 ソニー株式会社名誉会長1921-1999 佐治敬三 サントリー株式会社会長 1919-1999 小林敦 ライオン株式会社会長 1926-2000 徳間康快 株式会社徳間書店社長 1921-2000 2001広告功労者選考委員会選 中楚又左エ門 株式会社ミツカングループ本社社長 1922-2002 岡内英夫 株式会社資生堂会長 1908-2004 鳥井信一郎 サントリー株式会社会長 1938-2004 茂木克己 キッコーマン株式会社社長 1915-2005 石川六郎 鹿島建設株式会社名誉会長 1925-2005 2006広告功労者選考委員会選 PR 所在地 千代田区隼町4 (最高裁判所) ここに、三河田原藩の上屋敷が、かつてありました。 渡辺崋山は、名を定静、通称を登といいます。三河田原藩三宅家の藩士の息子として、寛政5年(1793)に上屋敷内の長屋で生まれました。文人画家として、また蘭学者としても著名な人物です。 天保3年(1842)に年寄役末席となり海防掛を兼務して以来、小関三英や麹町に塾を開いていた高野長英らと蘭学研究を始め、尚歯会を結成しました。 天保10年(1839)、いわゆる「蛮社の獄」により捕縛・投獄され、同天保10年(1839)12月に在所蟄居を命ぜられ田原に向かうまで、40年余りをこの地で過ごしました。 昭和30年(1955)3月 千代田区教育委員会 (平成22年〔2010〕1月補修) |
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永山
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男性
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