東京都千代田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 千代田区霞が関1-3 (経済産業省) 明治22年(1889)2月11日、大日本帝国憲法が発布され、翌明治23年(1890)11月第1回 帝国議会が開かれました。議事堂は、仮議事堂として、この地(旧麹町区内幸町2丁目1番地)にたてられました。明治23年(1890)11月25日、はつの議会召集があり、当日の光景を東京日日新聞は次のように伝えています。25日の曙の空ほのぼのと明け初めて午前7時ともなる頃、両議院の門前は早や人の山をなせり。予ての手筈にや警史は院の内外より、一方は練兵場に、二方は新しい橋を渡りて久保町通りの四辻まで五十米を隔てて警備し、猶往来の雑踏を制せんとてか住還の道路を左右に分けて通行せしめぬ。総ての体嘻々たる裏に、厳粛々たる様ありて、あわれ第一期帝国議会召集の景況よと見受けられたり。さる程に旭日影ゆたかに昇りて時計の針8時を指す頃ともなれば、当日召集の上下両院議員諸氏引続き参院ある。貴族院なるは多くは馬車にて、衆議院なるは人力車なり(一部) 29日、明治天皇臨席のもとに開院式がおこなわれました。ところがこの会期中の翌明治24年(1891)1月20日、衆議院柄出火し、ペンキ塗り木造建物のためほとんど全焼してしまいました。このため貴族院は華族会館に移り、衆議院は東京女学館にうつったといいます。 焼失跡への議事堂は明治24年(1891)11月完成しました。建物坪数は両院あわせて3,194坪(10540平方米)木造2階建てでありました。 昭和51年(1976)3月 千代田区 PR |
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永山
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