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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区九段北 (靖国神社)

 この練兵館(れんぺいかん)は、神道無念流(しんどうむねんりゅう)の剣客 斉藤弥九郎(さいとうやくろう)により、それまで俎(まないた)橋付近にあった練兵館が天保9年(1838)の火事で類焼したため、この地に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。 

 練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥次郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は剣の腕前も優れ、師範代もつとめている。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていたといわれる。

 なお、この練兵館は千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場といわれている。


    Site of the former "Renpeikan"
The "Renpeikan"was one of the three most famous "kendo"(Japannese fencing)training schools at the end of the Edo era.
A powerful samurai and kendo master,Yakuro Saito,rebuilt it here after the original school burnt down nearby in 1838.
Many famous samurai active in the Meiji Restoration trained here.
Some of them subsequently held important posts in the Meiji gobernment.

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