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東京都千代田区の歴史
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所在地 千代田区麹町6-4-2 (心法寺)

 千代田区指定有形文化財(工芸品)

             平成10年(1998)4月指定

 この梵鐘は銘文にある通り延宝4年(1676)に鋳造されました。『新撰東京名所図会』によれば、心法寺開山の然翁上人が慶長2年(1597)の起立当時、三河国の秦宝寺から本尊・堂宇などとともに梵鐘を持ち込み、しばらく心法寺で使用したが、この梵鐘が破損した為、5世寂誉上人が改めて鋳造し直すこととし、延宝4年(1676)中、自坊において鋳造した、とされたいます。
 本銅製梵鐘は、通高164.0cm、駒の爪の下端の周が269.5cm、口径85.8cmになり、竜頭は高31.0cm、髪、角、耳ともに大きく、頭髪から連なるように中央に火焔宝珠を据えています。乳については、直径3.8cm、高1.6cmの二段盛り茸形で、4面ある乳の間に5列×5行で各25個、さらに4ヶ所ある縦帯の上部に各2個づつ、合計108個を鐘面に施しています。全体的に、江戸時代の梵鐘としては大きな部類の梵鐘であり、形姿の点では比較的長身・細身の形であるといえます。
 鐘名にある「冶工」椎名伊豫藤原吉寛は、神田鍋町に居住した御鋳物師で、神田鍋町に、かなり大きな工房を構えていたものとされています。椎名伊豫藤原吉寛(あるいは良寛)は、延宝年間(1673~1681)から元禄年間(1688~1704)ころに活動し、江戸の鋳物師として比類無いほどの作品例を残しました。彼の作品で、千代田区周辺に現存している銅製梵鐘としては、

増上寺   港区 延宝元年(1673)

三宝寺   練馬区 延宝3年(1675)

寛永寺   台東区 延宝9年(1681)

西迎寺   新宿区 貞享3年(1686)

宝憧院   大田区 延宝9年(1681)

長明寺   台東区 天和2年(1682)

天真寺   港区 貞享4年(1687)

東海寺   品川区 元禄5年(1692)

などが挙げられます。
 ほかに鐘名についていえば、実に多くの人名が線刻されているのが目につきます。これらはこの梵鐘を鋳造するに際して喜捨をなした人々であると思われます。これらの人名の中には、①姓の有るもの、②姓の無いもの、③女性のもの、④法名などが混在し、また人名のほかにも「当町念仏講中」、「八丁目念仏講中廿人」、「念仏講中」などともあり、様々な人々がこの梵鐘の鋳造に関わったことを伝えてくれます。なお池の間には、「武州豊島郡江戸市谷之荘山野手常栄山天性院心法寺」との銘文もあり、これは「山の手」という地名の比較的早い使用例として、東京の地名を知る上でも資料的価値が高いといえます。
 この「銅製梵鐘」は、区内に伝来し現存する数少ない江戸時代の工芸品の一つであり、また江戸時代の梵鐘としては優れた作例で、さらにはかつての千代田区域に居住した鋳物師の作品であるなど、千代田区の歴史を考える上で欠くことのできない貴重な資料です。
  平成11年(1999)3月 千代田区教育委員会

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